「ピアノを弾かせていただく」
ジャズピアニスト 上原ひろみ さんがマインドとされている言葉です。
上原さんは、長い歴史を有するピアノという楽器に対して低姿勢で向き合いたいという意味でこの言葉を用いました。
彼女の意図とは視点こそ異なりますが、現在私たちが向き合う多くのピアノは購入、調律や整調、補修など誰かの時間や労力そしてコストの上に仕立てられており、我々もまた「ピアノを弾かせていただいている」のです。
もっと言えば、誰かの資本によって所有されているピアノを消耗させながら弾いているのです。
仮にも野放しに永遠の命を有するピアノなどはこの世にひとつとしてありません。
黎明期、ストリートピアノは利用者の善意に任される形で広がりました。
ストリートというカテゴリならではの雑多性や曖昧性、無秩序性から生じる輪のような交流が魅力の原点だったことは言うまでもありません。
それが瞬く間にブームと化し、ルールの明文化が求められるようになった日本のストリートピアノ。
群衆が何時間もピアノの周囲に陣取り、演奏希望者が一列に並んで順番待ちをする光景など当初は想像すらできませんでした。
そして ストリート という言葉の解釈は瞬く間に語源を超え、一部における実態は「無料参加型ピアノ発表会」であったり「YouTubeのカテゴリ」などでもあり、名称と実態の乖離を広げながら今日に至ります。
故にその認識は十人十色であり、ストリートピアノとは一体何なのか、もはや誰も説明ができなくなっているのではないでしょうか。
よって全体に対して誰かが一概にモラルとかマナーを提案しても、もはや本質を得ません。
だからこそ、ストリートピアノなどのピアノを弾かれるときには
「ピアノを弾かせていただく」
という意識を皆が持ち寄れたら良いなと思う次第です!
それでは、楽しい音楽ライフを!